2018年5月7日月曜日

男女の「差別」「逆差別」の話で思うこと


少し前のことですが、女性専用車両に数人の男性グループが乗り込んで居座り、電車が遅延するなどのトラブルになったということがありました。
この男性グループは女性専用車両を「男性に対する逆差別」と主張していて、これまでも同じような行動を繰り返しているようです。私は意見を持つことは自由だと思いますが、その主張のための行動としてはあまり好ましいとは思えません。ただ、その後の報道などで法的根拠や専門家の意見、解説などを見ていると、難しい解釈がいろいろあるようです。

最近見た新聞記事に、この男女間の格差を取り上げたものがあり、例えば公職や企業重役に一定割合で女性登用する「クォーター制」について、ある大学教授が授業で紹介したところ、男子学生に半数近くが「逆差別」との感想を述べたとのことでした。私は「ああ今の若者の感覚はそうなのだ」と意外に思ってしまいますが、それでは古い感覚だということになるのでしょう。
混んだ電車で男性が座って女性が立っているカップルを見て、私の感覚では何となく違和感を持ってしまいましたが、合理的に考えれば疲れている人や体力がない人、座りたい人が座ればよいわけで、ここで男だから女だからなどということを考える必要は確かにありません。

つい先日、我が家の引っ越しをお願いした運送会社は、スタッフ3名のうちの1名が女性で、サブリーダーとしてもう1名の新人を指導しています。仕事ぶりを見ていると、重いものを力任せに運ぶわけではなく、身につけた運送技術や補助器具の使用で安全に効率よく作業をしています。単純に腕力が足りない時は、他の男性スタッフが少しフォローするだけです。
建設現場や深夜のタクシー運転手、その他私たち世代が男性でなければ体力的に難しいと思い込んでいたような仕事でも、今は多くの女性が担っています。性差による決めつけが不適切な場面が増えていることは確かです。それが普通だという感覚の人にとって、さらに女性を優先するのは「逆差別」というような意見が出てくるのでしょう。

企業人事の現場では、この男女間の問題は相変わらず大きなものです。そこには古い感覚と新しい感覚が混在していて、私としてはまだ古い感覚の方が圧倒的に多い感じがしています。女性が不利に扱われる場面がまだまだ多く、女性対象のフォローやサポートが必要だということですが、そればかりでなくなってきていることも確かです。

以前私は、「女性“差別”は絶対にダメだが、“区別”することは必要だ」という話をよくしていました。やはり力仕事、体力勝負となるような、女性が明らかに不得手なことはきちんと“区別”して配慮するべきだというニュアンスですが、これもそもそもどこまでが区別でどこからが差別になるのかという線引きはあいまいですし、今はこういう言い方自体が、男性優位という前提での上から目線の言葉と指摘されても仕方がありません。

また、この“差別”と“区別”の基準は、ここ最近で大きく変わってきていると感じます。たぶん個人が持つ常識だけでは判断し切れない多種多様な基準です。企業はその企業なりの基準を明示していかなければならないでしょうし、その基準は場を共有する人たちの大多数が平等だという印象を持つものでなければなりません。常に社会環境を見据えて修正していく必要があるでしょう。

そんな中でもただ一つだけ言えるのは、「差別」「逆差別」といって異性を攻撃することには、まったく実りがないということです。こんな被差別感情から脱却することが、今の段階では一番必要なことではないでしょうか。


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