2018年5月25日金曜日

自分の「反対側のこと」を知る大切さ


少し前の話になりますが、こんなことがありました。
ある会社の担当者との間で、契約関係のちょっとした重要書類を郵送でやり取りをしたのですが、その会社からは契約書類だけが小さな封筒に折りたたまれて送られてきました。

こういうマナーにはいろいろな考え方があるのを承知していますが、私は特に大事な書類は折り曲げない、送る時は必ず送付状をつけるということでやっていましたし、関係先からも同じように対応されていたので、私が日ごろ接しているものとはちょっとかけ離れていて、さすがに「ん・・・」と思ってしまいました。

やり取りをしていた相手は主任クラスの男性なので、十分に社会人経験は積んできたと思われる人です。それなりに付き合いがある関係だったので、ある機会にそのことを一応確認するつもりで話をしてみました。
すると本人はちょっとバツが悪そうに、こんなことを言います。
「今まであまりこういう書類のやり取りや事務処理をやったことがなかった」
「やり方は何となく知っていたけど、相手が知り合いなので、まあいいやと送ってしまった」
というような感じでした。要は「どうすれば良いのかをあまりよく知らなかった」ということです。

こんな知識の抜け落ちのようなことは、どんなに経験豊富な人でも意外にあるものですが、この件を私自身に置き換えて、そんな書類送付のマナーをいつ誰に教わったのかと考えてみると、そういう記憶はほとんどありません。
あえてそのことを取り上げて教わったことも、どこかの研修で出てきたこともありません。実際には研修などをされていて、それを覚えていないだけかもしれませんが、覚えていなければ教わっていないのと同じことです。

ではそのマナーをどうやって知ったのかを考えると、たぶん「送られてきたものを見たことがあるから」です。「送られてきた書類を受け取る」という反対側の経験をしていたおかげで、いつの間にかそのことが知識として刻まれていて、反対に自分が送る側になったとき、それを真似することができたのです。
先方の会社の担当者が「あまりやったことがなかった」「知らなかった」といったのは、たまたま反対側の経験をする機会がないままできてしまったということでした。もう少しいうと、たぶん何かしらの書類を受け取った経験は絶対あるはずですが、その点に興味を持ってみることをしなかったので、知らないままできてしまったのでしょう。

これはどんなことでもそうですが、何か物事を知るにあたって、他人からきちんと教えてもらえることは、それほど多くはありません。意識的に勉強していることであれば別ですが、そうでないことは、自分の身の回りで起こっていることや経験したこと、他人の話や本などから、無意識のことも含めて知識を得ていることも多いのではないでしょうか。

そんな時に私が思うのは、「自分の反対側で起こっていること」に興味をもって、それを知ろうとすることの大切さです。
よく「その立場になって初めて大変さがわかる」などと言います。
生徒から教師になる、部下から上司になる、売る側と買う側、食べる人と作る人、親と子、そんな両方の立場を経験して初めて相手の事情がわかることは多いですが、「反対側のこと」がいつか自分にも関係があるかもしれないと、興味を持ってみていれば、実際そうなったときのギャップは少なくなります。

相手目線の一種かもしれませんが、自分の「反対側のこと」を知るのは、自分の視野を広げるためには絶対に必要です。特に年齢を重ねてくると、周りの人が教えてくれたりダメ出しされたりする機会はどんどん減ってきます。自分で意識して直すしかありませんが、そこで自分と対極にある「反対側のこと」を考えてみると、いろいろ見えてくるものがあるはずです。
「反対側のこと」を知ろうとするのは、意外に大事なことだと思います。

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