2018年1月24日水曜日

「円満退職でない人」のことを考えてみる



実は今まで私の周りにはあまりいなかったので、ごく一部で起こっていることだと思っていましたが、ここ最近「円満退職」に配慮しない人たちの話を、それぞれ別の会社から立て続けに聞きました。

どんな状況かというと、ある会社では契約満了が近いパートの高齢男性が、業務指示を無視したり悪態をついて反論してきたり、欠勤はしないものの忙しい日にわざわざ有給取得をしたりして困っており、別の会社では自己都合退職の女性社員が、退職日が決まったとたんに客先からクレーム沙汰が連続して起こり、その原因は勝手な自己判断を無責任におこなっていたということがあったのだそうです。

それぞれに関わっている人は、「こんなことをするメリットが理解できない」「“立つ鳥跡を濁さず”というのに・・・」との憤慨やあきらめがあります。私も本人には何もメリットがないのではないかと思います。

ただ、「円満退職とは何か」を考えてみると、例えば自分が前職をやめた時のことを思い出してみて、あれは果たして「円満退職」だったのだろうかと思うことがいろいろあります。

確かに今でも前職の会社の人たちとのつながりはありますし、辞めるときには盛大な送別会もやってもらったので、そこそこ“円満”だったとは思います。

ただ、私が辞めると決まってからは、きっちり有休消化をしたので、直前の1カ月ほどはほとんど出社していません。マネージャーだったので、自分だけで抱えているような定常業務はほとんどなく、自分が思いつく引き継ぎ項目はそれほど多くありません。すでに後任もいるので、その人に「何かあれば聞いて」と言ったくらいのものです。

何か新しい仕事がある訳ではないし、自分から積極的に動くことも求められません。そうなれば「今の会社」を優先する気持ちはどんどんなくなり、いちおう「円満に」とは思っていても、目が向いているのは退職後のことで、ほとんど自分優先の気分になっていました。
もしここで「一方的な会社の都合」と思うことを求められていたとしたら、たぶん反発して“円満”などとは考えなくなっただろうと思います。今回話を聞いた「円満退職」に配慮しない人たちと同じだったかもしれません。

こんな話を他の人ともしたことがありますが、転職経験がある人は割とみんな「はじめはきちんとして辞めなければと思っていたけど、実際には退職日が近づくほどその気分が薄れていった」と言っていて、私の当時の気分と似ています。

「円満」というのはお互いの気持ちの問題なので、どうすれば必ず円満になるとは言えないところがあります。「円満」には収まらないときの言い分は必ず両方にあり、はっきりとした良し悪しは言い切れません。もちろん、クレイマーのような人の非常識で一方的な態度には、こちらも円満な対応はできませんが、相手にも言い分がある点は同じです。

こうやって考えてみると、世の中では「円満退職」が強調されますが、実際にそうなるのは意外に難しいということです。“円満”というのはお互いの言い分のバランスが取れているからであり、その言い分自体も、どちらかが我慢していることがあり得ます。それは本当の意味での「円満」ではありません。

「円満退職でない人」がいるとき、それ自体が難しいものであることと、受け入れることができるかはともかく、相手にもそれなりの言い分があることは、心にとめておく必要があると思います。


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