2017年12月13日水曜日

“やる気がない”の指摘は“やる気がある”状態を知らないと言えない



部下や後輩に対して「やる気がない」と愚痴る上司や先輩は大勢います。
「仕事が遅い」「覚えない」「指示待ち」「責任感がない」など、様々な仕事の不出来をひとまとめにして「やる気がない」と言っていることが多いようです。
でもそれは本当に「やる気がない」のでしょうか。

自分自身を振り返ると、「やる気がない」という状態は確かにあります。疲れがたまっていたり、同じことを続けて根気が無くなっていたりするとそうなりますし、上司に怒られたなどと言うのは、やっぱりやる気がなくなります。また、誰かと揉めた、喧嘩した、大事なものを失くしたなど、仕事と関係ないことが影響していることもあります。

では「やる気がある」という状態を考えると、私の場合はこちらの方がもっと難しく、それほど頻繁にあった訳ではありません。やる気満々でみなぎっているようなことは、今までの仕事人生すべてを考えても、本当に数えるほどしかありません。それ以外は日常の中で、わりと当たり前な普通の心理状態で仕事をしていることがほとんどです。それは“やる気”がどうこうに関係なく、自分の役割、責任をしっかり果たすという意味です。

さらに、これらは自分の内面で思っていることなので、その時の私のやる気は他人から見てもたぶんわかりません。一方的に「やる気がない」などと指摘されても、その時に自覚している状態と合致しないので、納得感はまったくないでしょう。
納得できるとすれば、それは自分の「やる気がない」という気持ちをズバリと指摘されたときです。図星を指す上司や先輩は、少ないですが確かにいました。

これは、あるサッカー少年団のコーチですが、子供たちの様子からこのあたりをズバリと指摘する人がいました。「やる気がなくて惰性でやっている」「うまくいかなくてふてくされている」などと指摘するのですが、それがほとんど当たっています。なぜ当たっていることがわかるかというと、子供たちは「コーチにはすぐばれる」と言っていますし、その言葉で子供たちの動きが確実に変わるからです。

私がとても参考になったのは、なぜ当てられるのかをコーチに尋ねたとき、「子供たちの“やる気がある”という状態を知っているから」とおっしゃっていたことです。
「内面は必ずどこか行動に現れるが、いい状態の行動と悪い状態の行動の両方がわかっていないと、その時の的確な指摘はできない」ということでした。

「やる気がない」という指摘の多くは、相手の行動を自分が持つ基準や受ける印象に合わせて言っているのではないかと思います。
「はきはき」「きびきび」「まめな報告」などは、たぶん“やる気がある”と言われますが、その人にとってはただの習慣で、やる気がなくてもやっているのかもしれません。
反対に「だらだら」「のろのろ」「言葉足らず」も、あくまでこちらの基準では“やる気がない”と見えますが、本人はやる気があってもそのペースなのかもしれません。この行動自体は指導しなければなりませんが、それを“やる気がない”と指摘しても、本人に伝わるとは限りません。

「やる気がない」という指摘は、その人が「やる気がある」という状態も知らなければ、相手の内面と合致した指摘はできません。当然ですが相手の納得感も得られません。
どんなことでもそうですが、「幅を知っていくこと」の大切さを感じます。

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