2017年11月8日水曜日

「ハラスメント」の潜在化と無意識の話



三越伊勢丹ホールディングスで、幹部の異例な降格人事があり、それが「パワハラ」を理由にしたものだとして話題になりました。
このような「ハラスメント」の問題は、もうずいぶん前から問題提起され、多くの企業が防止のための様々な取り組みをしていますが、なかなか解決していません。やはりする側とされる側の感じ方のギャップが埋められないということで、それほど難しい課題だということでしょう。

私も過去に数回ですが、パワハラ、セクハラなどのハラスメントに関する研修をやったことがあります。私が経験した実例などのお話はしますが、内容はごく一般的なもので、あらためて注意を喚起するような目的のものです。

その際に受講した人からよく言われたのは、「何をしてもハラスメントと言われてしまう」ということです。
それは確かにその通りで、そもそも「ハラスメント」というのは、相手が嫌がらせと感じればそれに該当してしまいます。仮に全く同じ行動や言動であったとしても、相手との関係性やその人の感じ方によって、「ハラスメント」だと言われてしまうことがあります。
相手との距離感を客観的にとらえられるかどうかも、「ハラスメント」を防ぐ上では重要なポイントです。

もう一つ、受講した人の何人かから言われたのは、「実は社内でハラスメントに類することが、思いのほか多く発生していた」ということです。
社内状況を確かめてみたというある会社のマネージャーは、現場で細かく話を聞いてみると、表沙汰にはなっていないが、何となくうやむやで収められていることや、当事者同士で何となく解決したようになっていることがかなりたくさんあったのだそうです。疑わしい行為があっても、あまり取り立てて言っても仕事がやりづらくなるだけだし、まあそこまでのことではないからそのままにしているというようなことが多かったとのことです。
この会社では、外部機関も含めた複数の相談窓口を用意していて、その周知も十分にしていましたが、やはりこういうことで表に出るのは、本当に氷山の一角なのだと実感したということでした。

これは私が経験してきた中で思うことですが、「ハラスメント」と言われることの中には、本人に自覚はあっても隠れてやっていて、周りから見ても気づきにくい場合と、本人に自覚がないままに行われていて、周りから見ていて明らかにそれがわかる場合の二通りがあると思っています。

例えば、「セクハラ」では、恋愛感情が含まれていたり、業務から離れておこなわれていたりするため、潜在化して周りからはわかりづらいことがあるのに対し、「パワハラ」では、仕事を離れてというよりは、仕事の場面も含めて幅広く行われていて、それが一部の当事者だけに閉じておらずに周りから見ていてもわかることが多いです。
やはり、周りから見えないよりは、見えた方が解決のための糸口は大きくなるはずです。

ただ、この「パワハラ」の場合で言えば、実際にそういうことをする上司というのは、それなりに権限があり、発言力があって威圧的、人の意見をあまり聞かず、場合によっては攻撃的などということもあります。報復が怖かったり、わかっていても言いにくかったり、他にも簡単に解決できない事情があるかもしれません。見えるからと言って、一筋縄ではいかないこともあるでしょう。

いろいろ書きましたが、「ハラスメント」の問題を解決するには、かたやハラスメントに鈍感過ぎず、かといって敏感になり過ぎず、かたや何でもハラスメントだと言って相手を攻撃せず、かといって変な我慢もせず、お互いが良識を持って正常な関係を作ることしかありません。
せめてそういう意識を持つことが、解決のための第一歩なのだろうと思います。

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