2017年6月9日金曜日

「少数精鋭」を言い始める会社に感じる危うさ



このところの採用難による人手不足を感じていることが多いせいか、「これからは少数精鋭で」という会社の話をいくつか聞きました。

この「少数精鋭」を言い始める会社は、なかなか人が採れないという最近の事情だけでなく、過去に積極採用をしたが、人が定着せずに結局もとに戻ってしまったとか、能力不足であったり組織になじまないであったり、マネージャーが扱いに困るような社員がいたとか、人に振り回されたという経験がある会社が多いように思います。

そんな人材に関する苦い経験を通じて、「人材はやっぱり数でなく質だ」ということに転換したところで、この「少数精鋭」という言葉が出てきます。そう言いたくなる気持ちはよくわかります。

ただ、これはあくまで私が経験してきた範囲の中でのことですが、この「少数精鋭」を保ちながら伸びていった会社というのは、今まで一社もありません。

その理由を考えてみると、いくつか思い当たることがあります。
一つ目はごく一般的なことで、特に中小規模の会社のうちは、ただ「質の向上」といってもできることはそれほど多くなく、それこそ残業削減とか経費節減といった“縮小均衡”の施策に終始してしまうことがほとんどです。
ある程度の売上規模、社員数をもった会社が、一時的に「売上より利益」ということであれば、それは効果を生む場面がありますが、そうでない中小企業であれば、売上が伸びなければ利益も伸びませんし、社員数が増えていかなければ売上も伸びないということが多いはずです。
「少数精鋭」と言い始めると、事業規模が縮み、業績が伸びなくなってしまうということが多々あります。

もう一つ、この「少数精鋭」という言葉に含まれるニュアンスの中には、“量から質へ”ということだけでなく、「扱いにくい人材はいらない」「気の合う者同士だけで仕事をしたい」という“排除の論理”という要素がかなりあるということです。
確かに会社理念への共感、仕事観や価値観の共有ということは大事ですし、“気が合う仲間”と仕事をしていた方が楽なことは間違いありませんが、私が見ている中では、この“排除の論理”が事業規模の縮小や業績頭打ちをさらに加速していくように思います。

最近は特に、企業のダイバーシティ(人材の多様性)の必要性がいわれますが、本来の組織というのは、持ち味の違った多様な人材がいて、お互いの特徴を補完し合うことでシナジー効果を出そうというものであるはずです。
しかし、「少数精鋭」に名を借りた“排除の論理”に陥ると、採用基準を厳しくして入口を狭くし、社内では人材の選別が行われ、それに見合わない者は、露骨な肩たたきとまでは行かなくても、何となく辞めても構わないような空気を醸し出します。それは会社が人材を大事にしないような雰囲気を生み、残ってほしい社員も含めて、社員数は少しずつ減っていきます。社員の減少に伴って売上、利益が減り、会社の事業が縮んでいきます。

私は、会社が「少数精鋭」を言い出した時には、ほぼすべての場合に“縮小均衡の発想”と“排除の論理”があり、これは会社にとっては危ないことだと思っています。
過去の経験の反動や感情によって「少数精鋭」を言い出していないか、注意が必要です。


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