2016年12月16日金曜日

上司が介入し過ぎて「社内資料」と「会議」がエスカレートする



大手企業の経営トップらが参加し、長時間労働の是正や働き方改革について話し合うシンポジウムが開かれたという記事がありました。
サントリーHDの新浪剛史社長は「働き方改革は競争に勝ち抜くためにどうしても必要で、トップがコミットし続けないと、元に戻ってしまう」と経営者の役割が重要だと述べ、カルビーの松本晃会長は「部下の時間を奪っているのは上司だ」と話し、無駄な資料づくりや会議の削減を徹底していることを紹介したとのことです。

この「部下の時間を奪うのは上司」という言葉から、私にも思い当たることがあります。あることをきっかけに、物事の決め方が正反対に変わってしまったある会社のことです。

その会社は伸び盛りの技術系企業で、若手の社員が比較的多かったこともあり、フラットの組織風土を持っている会社でした。経営方針も事業計画もしっかり作られていましたが、日々の業務を進めるにあたっての判断は、現場に任されている部分が多く、上司もできるだけその判断を尊重する雰囲気がありました。
社内ミーティングは定例のものがありましたが、回数は限られており、そのために資料を作らなければならないようなことはありません。当時の社員数は300名弱だったと思いますが、その程度の人数規模だったために、それですんでいたという部分はあるのかもしれません。

ただ、こういう会社も、いつまでも順調なことばかりではありません。業績的に厳しい時期を迎えると、今までの現場主導がマイナスに作用します。それぞれの現場が主体的に判断する風土が染みついているため、全社的な守りの施策、事業の取捨選択、方向転換など、経営のリーダーシップが足りないという事態が起こってきます。

その後、ある企業グループからの資本参加を受け、最終的には吸収合併という流れになりましたが、ここでそれまでの企業風土が正反対に転換します。
吸収した親会社は、どちらかといえば上意下達の色彩が強い、官僚的な企業風土の会社でした。部下より上司の権限が強いのは組織としては当たり前ですが、この会社の管理職はどんなことにも必ず口出しをし、現場の判断がそのまま通ることがほとんどありません。
様々な手続きを踏み、社内各所の了承を得て、そこまで必要なのかというところまで決裁をもらわなければ、物事を先に進めることができません。

また、そこまで手続きを踏んでも、担当役員の鶴の一声ですべて振り出しなどということも珍しくはありません。すべての事案について上司の介入度合いが強く、それが少々行き過ぎた感じがあります。
ここでどんなことが起こってくるかというと、社内説明や根回し、手続きに膨大な労力がかかるようになるということです。

結構な枚数の社内プレゼン資料が作られ、上司との間で提出しては差し戻しの行き来が何度か繰り返され、さらにその上の上司との間でも同じことが繰り返されます。この行き来を避けたいために起こってくるのは、説明のための社内資料を詳細にすることや会議回数が増えることです。

上司が適切な判断をするということで、ある一面から見れば組織のあるべき姿という気もしますが、その一方、あれほど現場主導でスピーディーに仕事をしていた人たちが、上司の姿勢が変わるとこれほど仕事のしかたが変わってしまうのかと、何かやるせない思いも感じました。

現場主導も上意下達も、要はそのバランスが大切で、どちらかに偏り過ぎてはいけないのだと思いますが、私個人の思いとしては、現場の事情をよく知らない上司が強く介入してくれば来るほど、それに対する説明や説得に時間がかかり、それは会社としては明らかに非効率なことです。

究極の効率的な組織というのは、ある一つの事象に対して、経営者から末端の一般社員までが同じ判断ができる組織だと思います。公式権限以外の業務遂行にかかわることは、すべて現場判断で全社見解と同様の最適なものが導き出せるということです。

そんな理想的な組織はたぶん世の中には存在しませんが、あるルールのもとにできるだけ権限移譲を進めることは、組織の効率性を考えても大事なことです。

この会社の事例では、「上司が部下の時間を奪っている」という言葉を、まさに実感として感じたということです。
こればかりは、部下の側からはどうしようもない部分であり、上司の側が意識して変わらなければいけないことだと思います。これからの「働き方改革」の流れの中では、“部下の時間を奪わないマネジメント”が求められているのだと思います。


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