2016年7月4日月曜日

無理をしすぎないからやりがいも感じられる



先日、仲間同士で話している中で、何人かが「仕事が面白いなどとは思えない」「むしろつまらない」「やりがいなんてない」などといっています。やっぱり生活のためと思って、どこか仕方がなくやっているし、やらずに済むならやりたくないのだそうです。

私自身は最近そんなふうに思うことは、ほとんどなくなりました。仕事が最優先の人生ではありませんが、今の仕事はまぁまぁ面白いと思ってやっていますし、ただ生活のためと割り切っている感じではありません。やりがいとか社会的意義とか、多少はそんなことも感じながらやっています。

そんな話をしているうちに、ふといくつか、その人たちと私との違いに気づきました。
会社員と自営業の違い、事業者と雇用者の違い、報酬の違いや労働条件の違いなど、一般的に見える違いはありますが、そういうものではなく、「仕事の大変さ」が大きく違うと感じたのです。どう見ても、彼らは私より数倍大変な思いをしています。とにかく「無理をしすぎていること」が多いように感じたということです。

その最たるものは、「無理な業績目標、業務上の目標」です。みんなそれに最優先で取り組み、達成してもしなくても、翌年はさらに無理な目標が降ってきます。そのために無理な働き方をしたり、無理な責任を背負ったりしています。他人に無理を押し付けたり、他人の責任にしたり、中には嘘や言い訳でごまかすこともあるようです。

それに対して私の場合は、自分が甘いということもあるでしょうが、仕事の結果が降りかかってくるのは結局は自分だけなので、そんな無理な業績目標を設ける必要はありません。
お請けした仕事は責任をもって全うすることは当然として、その時の状況によってできることとできないことは変わってきますから、与えられた環境の中でできる限りの100%ということになります。
できないことをできるとは言わないですし、専門外の仕事を無理してどうにかしようとはしません。

無理をしている人たちは、常に誰かからムチを入れられている状態であり、私の場合はムチが入ることはあるけれどもその機会は少なく、そもそもムチを入れるかどうかを決めるのは、ほとんどの場合が自分だということです。

無理をしすぎている人たちは、それが自分の意志ではないですし、そもそも余裕がないですから「仕事が面白い」とか「やりがいがある」などと感じることもできないのだと思います。
やっぱり面白さややりがいを感じるためには、心の余裕が必要です。

仕事のやりがいや面白さを、社員にどうやって見つけさせるかという取り組みが、人事上の課題として挙げられることがありますが、それができない要因に一つには「無理をしすぎている」ということがあるのだと思います。
無理か無理でないかの線引きは、ほとんどは個人の主観なので、一律に決めるのは難しいことです。ただ許されるならば、「仕事の割り切り」が自分の判断でできれば、無理のしすぎはずいぶん少なくなるのではないかと思います。

あらためて言いますが、仕事のやりがいや面白さを感じるためには心の余裕が必要であり、その余裕を作り出すためには、仕事でもある程度の割り切りが必要なのだと思います。

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