2016年5月9日月曜日

「他人を変えたい人?」に感じた不快感



今まで身近に接したことは少ないですが、ある会合で久しぶりに「他人を変えたい」という態度が満々の人に出会いました。

自分の思いや考え方を一生懸命に話し、すべてに賛同を求めてきます。その内容が思想的なことや政治的なこと、個人的な価値観にかかわることまで含まれていたので、私としては賛同できる内容ばかりではありませんでした。

周りにいた他の人は、聞き流す人や正面から反論する人などいろいろでしたが、最終的にはみんなその場を立ち去ってしまいます。それほど一方的で強硬と捉えられる言い方だったので、私も最終的には他の人と同じく、その人の近くからは離れました。
相手のことも思ってのアドバイス、愛があるお説教ならば、もう少し捉え方は違うと思いますが、自分の考えを一方的に押し付けたいだけのように見え、やっぱり不快だと感じたからです。

さらに不快だと思った理由がもう一つあり、それは自分の話に賛同する人、肯定的な反応をする人には「世の中をよく知っている優秀で頭が良い人」という態度で扱い、そうでない人には「世間知らずで物を知らないバカな人」という言動をしていたことです。
結局はこの人と話す相手は誰もいなくなり、ご本人も早々に帰られてしまいましたが、あの様子では仕方がないと思いました。

ここで、ちょっと不快な人の振りを見ていて思ったことは、ここまでひどくはないにしろ、同じような自己主張の押し付けを、自分でも知らず知らずにしてしまっていないだろうかということです。

これはそれぞれ別の会社の部門長ですが、どちらの人もわりと指示が細かく、こうあるべきという自分の考え方を述べることが多い人たちでした。
ただ、違っていたのは、お一人は部下たちとの関係が悪く煙たがられていて、もう一人は部下たちからの相談も多く、良いコミュニケーションが取れているということでした。そこでそれぞれの部下たちの話を聞いてみると、前者の部門長は「話を聞いてくれない」「一方的」「高圧的」「パワハラ」などと言われ、後者は「意見を聞いてくれる」「説明してくれる」「一緒に考えてくれる」と言われていました。

ここからわかった違いの理由はただ一つだけ、「相手の立場を気遣っていることが部下に伝わっているかどうか」ということでした。結果的に、相手の考え方を変えようとしていることに違いはありませんが、そこに至るプロセスとして、相手への共感、説明や説得、納得という手順を踏んでいたかどうかということです。
マネージャーの立場で相手に迎合するばかりでは良くありませんが、「他人を変える」というのは簡単なことではありません。それなりのプロセスと時間が必要です。

はじめは不快な思いからでしたが、あらためて我が身を振り返るには、良い機会だったのかもしれません。


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