2016年4月22日金曜日

「誰が言ったのか」を気にするのは大事なことか、不公平か



人事のコンサルティングを進めるプロセスの中で、いろいろな会社でヒアリング調査をさせて頂くことがあります。
基本的に「誰が言ったのか」が特定されないような報告のしかたをしますが、その理由は社員の方々には委縮せずに話をして頂き、できるだけ本音に近い情報を得たいと考えるからです。

ただ、会社によっては、この「誰が言ったのか」をものすごく気にする会社があります。
どちらかといえば、経営者と現場の距離が近い、社員同士の顔がよく見えるような中堅中小規模の会社、ちょっとよくない言い方かもしれませんが、個人商店的な会社の方がこういう傾向が強い感じがしますが、意外に規模が大きい会社でも同じようなことがあります。全社員をヒアリング対象にするようなことはめったにありませんから、何らかの基準で人選がされる訳ですが、社内で中心的な役割を担っているコアメンバーが選ばれることが多いので、その人たちが何を言っているかが気になるということがあるようです。

この「誰が言ったのか」を気にする理由は、私は組織運営の考え方にあるのだと思っています。
社員一人一人は意見も考えていることも違いますから、それを個別に聞き、不満などがあれば対応していくことで、会社や上司と社員が、お互い人としての信頼関係を維持することができ、それは組織の安定につなげることができます。ここでは「誰が何を言っているか」を個別に知ることが大事です。

また、組織の中心を担うメンバーには社内の様々な情報が集まりますから、それを直接聞けば効率的に情報を集めることができます。ただし、その中身は人によってばらつきがあり、課長だから、部長だから情報が集まる訳でもなく、その人たちが何でも知っている訳ではありません。内容は同じでも、言っている人によって、その信憑性は違ってきます。ですから「誰が言ったのか」が重要になってきます。これはこれで一つの組織の作り方ではあります。

 この「誰が言ったのか」に対する注目は、企業規模に関わらず、意外に日常的に起こっていることです。
例えば、新社長の就任メッセージには、これからの重点施策が込められますから、やらなければならない事の優先順位が変わってきます。「新社長」が言ったから、社員は大事なこととして受けとめます。

 逆からの話で言えば、例えば「あの部長にはお前から話をした方が通りやすい」などということがあるでしょう。個人的な信頼関係の違いに左右されることは、必ずあります。
挨拶をしない上司から「挨拶をしろ」と注意されても、反発しか残らないでしょう。これも「誰が言ったのか」が重要になるところです。

ただ、「誰が言ったのか」に注目しすぎることには、当然問題があります。それは聞き手の思い込みと機会不平等に、情報が左右されてしまうということです。どんなに意識しても、漏れてしまう情報や本質を見誤ることが出てきてしまいます。

お互い人間である限り、相手に対する好き嫌いも得手不得手もあり、それは必ずコミュニケーション頻度に反映されます。やはり好きな人や信頼が厚い人とそうでない人とでは、話をする量も回数も全く違うはずです。

しかし、苦手であまり気が合わない人の方が、本質に近い情報を持っていることもあります。ここは会議なり面談なり、仕組みとして決められた中でコミュニケーションをしていく必要があります。「誰が」にはこだわらずに話をするということです。

「誰が言ったのか」に興味を持つことは大事である一方で、ここに注目しすぎたままでは、会社の成長を阻害するように思います。
ここでも結局、組織と個人のバランスをどう取るかが重要なのだと思います。


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