2016年3月18日金曜日

「間違いをなくすため」「性格を知るため」に手書き?



ある方から聞いたお話ですが、公的な許認可に関する申請書類を準備している際に、質問をした役所の窓口でこんなことを言われたそうです。
「書式は電子文書で提供されていますが、中身をしっかり確認しながら書いて頂くために、必ず手書きしてください」

こんなことを言われても、そもそも本当に手書きの方がしっかり確認ができて、間違いが無くなるのかということ自体が疑問ですし、言われたことが役所全体の方針なのか、それとも窓口担当者の個人的な考えなのか、その点もよくわかりません。
今の時代に「必ず手書きで」などと言われてしまうと、どうしても違和感を持ってしまいますが、少なくとも窓口の人は、それが望ましいと思っていることだけは確かです。

同じような「手書きか否か」の議論をされるものに、“履歴書”があります。今でも「手書きの履歴書」を要求する会社は、採用の現場ではかなり多いと感じます。

そういう会社で必ず言うのは、「書いた字にはその人の性格が表れる」ということです。だから、それが選考の上での重要な判断材料になるのだといいます。

私の経験上でも、そういう部分がまったくないとは言いません。ある応募者の手書きの履歴書で、自宅住所の漢字が間違っていたことがありましたが、後日おこなった筆記テストでもその人は結果が悪く、「やはり・・・」という感じで基礎能力を判断する補足材料にしたことがありました。
これは「手書きの履歴書だったから、そういう判断材料が得られた」ともいえるし、でもそれは「筆記テストで結局わかること」でもあります。

ここで、「それでは字がきれいの人の方が仕事の能力が高いのか」といえば、必ずしもそうではありません。心理学用語で「スキーマ」という言葉があり、「無意識のうちにしてしまう、ある決まった物の見方や考え方」をいいますが、結局はそれに近いことではないかと思います。
要は、“ある価値観に基づいた思い込みではないか”ということです。

今の時代となって、私はあえて手書きの資料を要求する必要は、もう無いのではないかと思っています。
履歴書の話で言えば、例えば就職活動の学生さんは、数多くの会社に応募しますから、その履歴書を手書きするのは、経験した人でなければわからない大変な作業です。間違えても修正液などは使ってはいけないと言われ、少しでも間違えれば一から書き直しになってしまいます。

「それくらいの手間を惜しむ人には応募してほしくない」などという社長や採用担当者もいますが、自社に向けてはたった一枚のものであっても、学生さんは応募する会社の数だけ書かなければなりません。昨今の就職活動は、それ以外にもエントリーシートなど、ただでさえ書かなければならない書類がたくさんあるので、作業はさらに大変です。

会社がそこまで手書きの書類こだわっても、そこから得られる情報は「字がきれいかどうか」「誤字脱字がないか」という程度のことで、よほど字を手書きする機会が多い仕事でもない限り、重要な意味をなすものではありません。

前述の窓口担当者がいう手書き書類の話も、会社がいう手書き履歴書の話も、結局はそのことを通して物事を見る、「スキーマ」という思い込みに近いものだけではないかと思います。
そんなことに他人の大事な時間を使わせるのは、もう無意味で失礼なことなのではないでしょうか。

とはいえ、手書きには手書きの良さがあります。より良い使い分けのしかたは、これからも考えていく必要があると思っています。


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