2015年11月13日金曜日

「楽しい」と「喜び」の違いという話で思ったこと



映画監督で写真家の紀里谷和明氏が、ご自身の作品の試写会で、集まった学生たちの質問に答えるというイベントの記事を見ました。

起業を目指していると言って質問した学生に対して、「夢だ、リスクだと、何だかんだ理屈をこねくり回して、やらないことの理由を見つけているだけの話で、まずやるのかやらないのか、それだけだ」と、ご自身が死に物狂いで取り組んできたことを引き合いにした話が、シンプルながらとても新鮮に思いました。

その中で印象に残ったやり取りに、「楽しいと喜びは違う」という話がありました。
かなり要約になってしまいますが、おっしゃっていたのは、
“楽しい”というのはお金で買える。ディズニーランド行ったら楽しいし、カラオケ行ったら楽しいし、キャバクラ行ったら楽しい。 でもそこに喜びがあるのかっていうと、それはまた別の話である」
「楽しいことはあったとしても、最近喜んだことって案外ないはず。喜びが見つかると、その人は幸せだが、そこにはものすごい苦しみが付随すると思う。だから信念がなければできない」
というような内容でした。

私が最近気になっていたことの一つに、いろいろなことを「楽しい」と表現する若者が多いということがあります。
学校やアルバイトでも「楽しい」、会社でも「楽しい」という表現のしかたをします。そういえば、テレビで見るような著名なアスリートでも、「試合を楽しむ」「楽しめた」などといいますから、同じようなことかもしれません。

ただ、学校を楽しいと言いながら、あまり勉強はしなかったり、会社を楽しいと言いながら、退職してしまったりします。
私は人事という立場で、会社を辞めてしまう人から話を聞くことがありますが、「会社は楽しいんですが・・・」というような言い方をされたことが何度もあります。今一つ腑に落ちない気分がずっとありましたが、紀里谷氏の話で少しだけわかったような気がします。

やはり、「楽しい」というのは一過性の自分の気持ちであり、それだけでは物事を継続したり、積極的に取り組んだりということはできないということです。
何かを成し遂げるためには、苦しいことが必ずあり、その先の「喜び」がなければ、それに取り組むことはできないということのような感じがします。

こういう私自身も、「最近喜んだか?」と言われると、なかなか思い当たることがありません。しいていえば仕事上の小さな喜びですが、その程度のことでも、きっと喜びがあるからこそ、今の仕事を続けることができているのだと思います。

もしかすると、「社員に喜びを与えること」が究極の退職者対策なのかもしれません。ただ、果たしてそれを周りから与えることができるものなのか、私にはまだその姿は見えていません。


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