2015年6月26日金曜日

「良い伝承」と「悪い伝承」の、似ているようで大きな違い


ある知り合いの社長さんの会社では、これまでやってきた事業とともに、昨年から本格的に一店舗の飲食店経営を始め、つい先日が開店一周年だったそうです。

そこでおっしゃっていたことですが、特にアニバーサリーイベントもせず、こちらからは誰にも一周年ということを知らせていなかったにもかかわらず、お付き合いがある方々の何人もから、一周年記念のお祝いが送られてきたそうです。
もしかしたら、飲食業界ではよくあることなのかもしれませんが、その社長としては思ってもいなかったことで、その気遣いや、そもそも開店日を覚えていてくれること自体にとてもびっくりし、同時にとてもうれしかったということでした。

「どうして覚えているんだろう?」などと言いながら、私と一緒にいろいろ話している中で、「きっとお花を贈ってくれた人たちは、自分も同じようにしてもらった経験があり、同じようにうれしかった思いがあって、それからは周りにも同じことをしているのではないか」という話になりました。
ある誰かの行動が、良いことであると感銘され、自分もそれにならおうという共感を生み、それが伝わって循環しているという「良い伝承」なのではないかということです。

その一方で、飲食と言えば、「悪い伝承」といってよいような過去の例があります。
例えば、食品偽装というような話では、初めは食材が手に入らないとか、コストを少しだけ下げたいとか、そんなちょっとした気持ちでやり始めたことが、バレなければいいだろうとどんどんエスカレートして、それが当然のことのようになって、「悪い伝承」として伝わっていったということです。

こんなことを考えながら思ったのは、「良い伝承」と「悪い伝承」の起こる背景というのは、それぞれ似ているようで、実は大きく違うということです。
「良い伝承」というのは、それが良いことであるとの意識が薄れていってしまうと定着せず、逆に「悪い伝承」は、初めはあった罪悪感という意識が、徐々に薄れていくことによって定着していくということです。どうも「悪い伝承」の方が、定着へのハードルが低そうです。

食品偽装のようなひどいことではなくても、会社の中では、例えば入社当初は良く挨拶をしていた新入社員が、入社半年もたつと挨拶しなくなっているなどということがあります。先輩たちが挨拶をしなければ、新入社員の意識も薄れて行ってしまいます。これも一種の「悪い伝承」です。

良いことは何もしないと定着しづらく、悪いことは何もしないと定着してしまうということです。
良いことを伝えていく、「良い伝承」のためには、当事者がそれを意識し続けなければならないということを、あらためて思っているところです。


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