2015年6月19日金曜日

「悪気のない不作為」が業績を悪くする


最近は「働かない○○」など、仕事に真面目に取り組まない者が増えているかのような話があります。
人間ですから、そこまで完璧であるはずはなく、多少のサボりや緩みはもちろんあると思いますが、実際にはそれなりに真面目に働いている人が大多数だと思います。特に日本の企業では、平均的に真面目で信頼できる社員が多いのではないでしょうか。

どんな会社でもほとんどそうですが、大多数の社員は、基本的には真面目に一生懸命働いています。ただ、どんなに立派な会社であっても、その真面目な一生懸命が、本来やるべきことと結びついていない場合があります。業績の伸び悩みや悪化の要因は探っていくと、ほとんどの場合でここに行き当たります。

「本来やるべきこと」「やらないでいること」が当たり前になっていて、やるべきことをやっていないという状態になっていますが、当事者の管理者や社員は、真面目に一生懸命やっているので、その不作為の状態に気づいていません。多少気づいていたとしても、当たり前のことではなく、何か特別のことをやっているつもりでいます。

これはつい先日、数千人規模で相応の組織体制を持った会社でのことですが、社内で起こっている問題をいろいろ聞いていく中で、管理数値の集計の一部が、未だに手作業でやたらと時間がかかったり、情報自体がなかったり、ということがありました。

当然経営判断は遅れるでしょうし、現場の人たちも状況把握に困るはずですが、それを改善しようという動きには、なかなかなっていません。予算の問題や部門間の調整に関する問題はあるにしろ、動き自体が非常に鈍い感じです。

なぜそうなってしまうかを考えて思ったのは、みんなそのことに対する問題意識はある一方で、相応の組織体制を持ち、「自分たちはやるべきことはきちんとやっている」という意識があるせいか、世間一般の会社ではできていて当たり前ということに気づいていないということです。実態として、当たり前のことをやらずにサボっていることと同じになってしまっています。

業績が思わしくないという会社の様子を見ていると、こんな「悪気のない不作為」ということに、あちこちで行き当たります。

著名な経営者の経営論などを見ていても、そのほとんどは「当たり前のことをいかにきちんとやるか」というものだと思います。しかし実際には、「それが当たり前のことと気づいていない」「やっていると言いながら実はやっていない」ということが多いです。

「私たちはやっている」と思っていても、実はそれが「悪気のない不作為」になっていないか、今一度見直すことが必要ではないでしょうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿