2015年5月15日金曜日

自分が頑張ったことや、成功体験を否定するのは難しい


夫婦ともに高学歴の芸能人が、「私たちは、親の用意してきた道を歩んできたのではなく、学歴をつかみとってきたという誇りがある。努力の証明書として学歴がある」と発言し、そのことがネットで炎上したという話題がありました。
「コツコツ頑張ったものは評価されて然るべき」と擁護する意見も一部にあるものの、「安っぽい自慢」「親のおかげと気づけ」などと批判されているようです。

この話について、直接的な論評はさておき、私は人事という仕事柄のせいか、学歴ということが身近で話題になることがときどきあります。

これはある会社であったことですが、その会社の人事担当役員の方から、「うちの採用担当者は、みんな仕事の能力に学歴は関係ないというのだが、本当のそうだろうか」と、長々とそれに対する疑問を話されていました。

そしてその最後に、「だからうちの子供は東大に入れたけどね」とおっしゃるので、私は“ああそういうことか”と、ちょっと納得したことがあります。本当に学歴は重要ではないとすると、ご自分のお子さんがつかんだものを否定することになってしまうので、それを認める気持ちにはなれないということがあったのでしょう。

逆に学歴を重視しない側の価値観を言うほとんどの人たちは、高学歴に対抗できるだけの、何か自分の強みを持っています。それは仕事の成果や実績、経験、人脈、体力、資本力、その他いろいろで、そのおかげで今の自分の地位や立場があると思っています。

たぶん自分が高学歴とは言えない人の方が多いはずで、もしここで「世の中は学歴だ」などと言う意見を認めることは、自分のやってきたことを否定することになってしまうので、やはりそれは認められないということなのだと思います。ちなみに私も高学歴ではないので、どちらかというと、この価値観に近いです。

しかし、私はこのどちらの意見も真実だと思います。それは、どちらも自分なりに努力した経験や、成功体験という事実を語っているからです。意見の違いは、今の自分にとっての基盤として、大きいのは何かというそれぞれの人生経験の違いなのだと思います。
その中で学歴というのは、ある時期を過ぎた後から挽回することが難しいので、それを強みとして言われることに対しては、反感を買いやすいのだと思います。きっと家柄や資産などでも同じようなことがあるでしょう。

どんな人でもそうですが、自分が苦労して目標達成した経験、成功体験は、なかなか否定できるものではありません。
いろいろなビジネス書には、“環境変化に合わせて発想を転換していくために、過去の成功体験を否定することが必要だ”などと書かれていますが、そう簡単にできることではありません。

ネットで炎上したという、この学歴うんぬんの論争も、結局はそれが根底にあるからなのだと思います。自分の成功体験を否定するということは、人間として簡単には越えられない壁なのかもしれません。


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