2015年2月25日水曜日

最近話題の格差の話と、企業の給与制度の話


格差に関する問題がいろいろな形で注目されています。
私は読んでいませんが、最近話題の経済学者ピケティ氏の著作には、経済格差の固定や拡大に関する記述があり、この解決策として、ストックである資本への累進課税強化などが提唱されているようです。

いろいろな人の書評を見ていると、「確かにその通り」とか「いやこれは日本には合わない」など、肯定、否定それぞれの意見を含めていろいろな記述があります。
ただ、今の社会には看過できない格差が存在し、それが徐々に拡大しつつあるという認識は共通しているのではないかと思います。

これとは少し視点が違いますが、企業の給与制度にも、必ず何らかの格差があります。全員が一律で同じ給料という会社はありません。

これは、あくまで私が関わったことがある企業の範囲内だけでの個人的な主観ですが、業界事情や社内制度の特性、その他さまざまな事情から、良くも悪くも安定して変化が少ない会社や、会社間や社員間での競争原理が弱かったり、差がほとんどなかったりするような会社は、やはりあまり活気を感じることはなかったように思います。
社員の働く様子を見ていると、適度な競争やそれに伴う良い意味での格差は必要なことではないかと思います。

ではどんな競争が適度で、どの程度の格差なら良い意味と言えるのかと問われると、そこにはっきりした見解を示すことはなかなか難しいことです。
しいていえば、「適度な水準は必ずあるが、それは個人や会社ごとにすべて違う」という感じです。

給与制度の設計などをしていると、経営者や管理職から「できる者ほど厚く処遇する制度を!」と言われることがあります。頑張って成果を残した人への実入りを多くしたいということで、その気持ち自体は理解できますが、これを実現しようとした場合は、それに見合う給与原資が必要になってきます。

これを無条件に積み増してくれる太っ腹の会社であればよいですが、そんな会社はめったになく、多くは今の給与原資の範囲内で「配分を変える」という意識です。給与原資は、給与の「水準」に直結しますが、これを上げるには会社全体の業績が伴わなければ難しくなります。

ですから、「できる者に厚く処遇する」ということは、視点を変えると「できない者の処遇を減らす」ということです。実は上級職で経営を意識しているはずの方でも、意外にこのあたりを意識しないで、評価が上位の出来の良い社員の様子を見て、「給与水準が低い」などと批判していたりします。

そういう方に、「では、給料を減らしても良いような出来が悪い社員はいるのか」と尋ねると、そこで名前が上がるような人は、いたとしてもほんの数人で、たぶん1%もいないでしょう。一般的に行われる評価の中での比率は、どんな会社でもだいたいがこんなもので、給与配分のバランスは取れないことがほとんどです。

私たちが給与に関する制度設計をする際の一つのやり方として、「最も評価が悪い人でも保障される最低限はどこか」というところから積み上げて考えることがあります。
よく、給与格差が大きいことを、「評価に見合ったメリハリのある処遇」と自慢する会社がありますが、これは給与水準自体が高い会社が多く、最低評価という人でも、給与水準としては一般的であったりします。逆にいえば、社会通念として許される最低水準が保たれるからこそ、格差の大きさが受け入れられるというところがあります。

最近見られる社会的な動きからは、どちらかというと「できる者に厚く処遇する」という部分ばかりが強調されがちな感じがします。
格差を受け入れやすくするには、最低限度を保障するということも必要です。両面でバランスの取れた動きができることが望ましいと思っています。


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