2014年12月15日月曜日

「協調性」が行き過ぎて「依存性」となっている人の多さ


チームで動く方が大きな成果が得られますし、私自身はチームスポーツもやっていましたので、チームで何かを達成する喜びは知っているつもりです。
仕事の上でも何から何まで自分だけでできる訳はなく、いろいろな方々からの支援や助言を得ながらやってきましたので、他者と協調することの大切さは身に染みてわかっています。
あくまで自己評価ですが、自分ではそこそこの協調性は持っていると思っています。

その一方で、大きな組織に属している訳ではない今の自分の立場では、どんなことでも最後は自分の責任で決めなければなりません。ですから、自己決定ができない状況は、私にとっては最も好ましくないことであり、最後は他人の意見にとらわれないということでいえば、協調性に欠ける部分があるのかもしれません。少し注意しなければならない点だと思っています。

私は採用面接やその他企業内で行われるような面談に関わりますので、その場で多くの方々からお話をうかがいます。当然その方の性格的な特性が話題になることがありますが、そこで「協調性」をご自身の特性として挙げる人は、結構多いと感じています。

特に採用面接のような場であれば、その組織になじめる人、周囲とうまくやっていける人の方が、会社にとって望ましいことと考えて、応募者がそれをアピールしようとするのは当然でしょうし、そこで「協調性」というのは重要な要素ですから、その点を強調したい気持ちも理解できます。

ただ、最近特に感じるのは、この「協調性」に関する意識が行き過ぎて、「依存性」になってしまっていると感じる人が多いことです。

例えば、上司や会社からの指示命令に対して、思っていることがあったとしてもそれは表に出さずに従うだけであったり、不当と思われる扱いに対しても反論をしなかったりということがあります。さらに、何かちょっとした身近な議論をする中でも、自分の意見を結論的には言おうとしないということがあります。

ここには、「言いたいけど言いづらいから、言うと不利益につながるかもしれないから我慢する」という“非主張行動”の側面もありますが、どうも「誰かが決めてくれる」「自分以外の誰かに決めてほしい」「自分の責任で決めたくない」という、他者に対する過度な依存性を感じることがあります。

たぶん、先行きが見通しづらい今の環境の中で、とりあえず誰かにすがりたいとという部分があるのでしょうが、それでも話を聞いていて、なおかつその人の立場を考えると、「それは協調ではなくて依存でしょ!」と突っ込みたくなる頻度が増え、そう感じさせる人の割合も年々増えているように感じます。

他者を尊重しながら協調することは大事ですが、その中には行き過ぎがあって、他者に依存し過ぎの状況が増えていることが気になります。

上司任せ、会社任せ、他人任せで依存しているばかりでは、そのツケは結局自分に返ってきます。
ご自身の「協調性」が、実は「依存性」に陥っていないかを、今一度考える必要があるように思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿