2014年7月23日水曜日

何でも「ハラスメント」と言い過ぎていないか


ある調査で、妻が家事に不慣れな夫に対して「やり方が違う」「やり方が雑、下手」「かえって手間が増える」などと指摘することを「家事ハラ」と定義して、自宅で家事を「手伝う」と回答した夫のうち、「妻の家事ハラ」を受けた経験があると答えたのは約7割、それで「やる気がなくなった」としたのは、その中のさらに約9割にのぼったのだそうです。

特に企業内で起こるセクハラ、パワハラの問題は以前から言われてきており、企業によって多少の差はあるものの、それなりの対策がされてきています。全体的な意識は、ずいぶん改善されてきたと思います。

私が企業内の研修などでお伝えするのは、「セクハラやパワハラというのは、相手が嫌悪感を持った時点で、それはハラスメントにあたるので、自分基準で甘い判断をせず、常に相手基準で考えること」「同じ言動や行動であっても、誰にやられるかで相手の感じ方は違うので、日頃からの信頼関係作りが大切であること」などをお話しています。

そういう意味ではこの「家事ハラ」も、嫌な思いをさせられたということでは、確かにハラスメントの一種なのかもしれません。

最近はセクハラやパワハラだけに留まらず、例えば

・女性が妊娠・出産をきっかけにした職場での嫌がらせや、解雇などの不当な扱いをいう「マタハラ(マタニティ・ハラスメント)」
・医者による患者への暴言や嫌がらせなどを言う「ドクハラ(ドクターハラスメント)」
・親子関係の中でのイジメや虐待、人権侵害などをいう「ペアハラ(ペアレント・ハラスメント)」
・精神的な暴力や嫌がらせで、主に夫婦間やカップルの間で起こるものをいう「モラハラ(モラル・ハラスメント)」
・学校や大学、研究室などで教員が学生や生徒に対していじめや嫌がらせを行うことをいう「アカハラ(アカデミー・ハラスメント)」
・嫌がっている相手にお酒を強要したり、酔っぱらって周りに迷惑行為を行うことをいう「アルハラ(アルコール・ハラスメント)」など。

さらに挙げて行けば、たぶんまだまだ限りなく出てくるのではないかと思います。他人からされて嫌だと思うことを、何でもかんでも挙げ出したら、これは本当にきりがありません。

最近の企業内では、上司が部下を少し厳しく指導したりすると、それだけでパワハラだといわれるようなこともあります。「褒められないとやる気が出ない」などとはっきり言う者もいるという話を聞きます。
しかし、叱られたり、指導されたり、注意されたり、忠告されたり、ダメ出しされたり、あえて苦言を呈してくれるということは、人が成長するためには絶対に必要なことです。
自分がそれを受け入れられずに嫌な気分になったとして、そのすべてを嫌がらせだ、ハラスメントだと言い始めたとしたら、それでは人間の成長が成り立たなくなってしまうと思います。

確かに、相手から不快な思いを感じたら、それはハラスメントかもしれません。あくまでその人の感じ方次第だからです。
それでも、最近少し「ハラスメント」という言葉が濫用され過ぎていないだろうかと思います。

「○○ハラ」と言われることには、実際にひどい事例が多々ありますし、これは正さなければなりません。ただ、自分にとって耳触りが悪いことを排除したいがために、それを指して「○○ハラ」と言っているとしたら、これは「ハラスメント」の濫用だと思います。

何でも安易に「ハラスメント」と言ってしまうことは、結局は自分の成長を阻害します。それが本当に「ハラスメント」に当たるのか、自分自身の捉え方も今一度を見直してみる必要があると思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿