2013年5月14日火曜日

「格差の境目」はどこにあるのか?


ここのところ、「格差」の問題がいろいろな場面で取り上げられています。
「格差」というワードでネット検索してみると、経済格差、所得格差、賃金格差、資産格差、情報格差、健康格差、教育格差、雇用格差、世代間格差、地域間格差、企業間格差、学校間格差、一票の格差など、本当に数限りなくたくさんの言葉が出てきます。

まあ同じような要素が複数あれば、その間には当然違いというか差がある訳で、その差を「格差」とすれば、どんなことでも「○○格差」となってしまいますから、何事にも格差はつきものということになってしまうのでしょう。

私はどんな事にも差があるのは当たり前と思いつつも、行き過ぎた格差は問題であると思っています。たぶん多くの人は、総論ではこんな感じだと思うのですが、ではいったいどこからが「格差」なのかを考えると、ずいぶん難しい問題であると思います。

例えば、地域間格差を考えた時、私は神奈川県在住ですが、「東京と神奈川に格差がある」とはあまり思いません。もちろん違う意見もあるでしょう。これが「東京と静岡」だったらどうなのでしょう?格差というほど違わないように思いますが、実際は良くわかりません。では「東京と九州」「東京と四国」だったら・・・? さすがに格差はあるのかなぁと思いますが、でもよくやっぱりわかりません。

経済格差も情報格差も教育格差も、結局許容しきれない格差は存在するが、それが具体的にどの程度なら許せてどの程度以上はダメなのか、誰もわかっていないはずです。きっとみんな違うし、その境目を線引きすることはそう簡単ではないのだと思います。

これは私の人事コンサルタントとしての仕事の中で、人事制度を作る時にもまったく同じことがあります。例えば“評価による処遇の格差はどの程度が適切なのか”、というような議論です。
だいたいどこの会社でも、「ガッツリ差をつける派」「やりすぎは好ましくない派」に分かれ、喧々諤々の議論をします。最終的にはどの会社も、自社の業態、社風、社員の性格特性などまでを考慮して落としどころを決めています。やっぱりある程度の時間をかけて議論して、一定の共通認識を得ないと「格差の境目」は決められないと思います。

最近はこの「格差の境目」を議論しようという空気もあるようですが、どちらかというと強い人たち主導の議論のように思います。ちなみに人事制度の場合も、「ガッツリ差をつける派」は圧倒的に経営者や役員クラスが多いです。
いろいろな立場の人たちを網羅して、バランスの取れた議論が行われ、「格差の境目」がうまく見つけ出せればよいと思います。


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