2013年3月19日火曜日

「休むことは悪」という感覚


もう5年ほど前になると思いますが、ある社長さんが、「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と述べたとされ、これが「休みたいなら辞めればいい」発言として取り上げられて、その当時はいろいろな方面で波紋を呼びました。(あとで「雇用維持が最重要という主旨だった」などと、発言自体が否定されたりしたようですが・・・)
ずいぶん昔の話題ですが、それでも「休むことは悪」という感覚自体は、今でもまだまだ残っているところがあるように思います。

私自身の経験でいえば、社会に出てから現在に至るまで、もちろん忙しかったことは多々ありますが、幸い当たり前のように休日返上を要求されたことも無く、適度に休むことが可能な環境で仕事をしてくることが出来ました。自分でできるだけそうしようと意識していた部分もあります。
ただこれも、「仕事中心が当たり前」と考える人にとっては「考えが甘い」「取り組み姿勢がなってない」ということでしょうし、世間一般から見れば恵まれていたように思います。

私が思うに、自ら進んで「休日返上で働くぞ」という人はそれで良いのでしょうが、本当は休みたいのに休めない人たち、休日返上を強制されている人たちがいるのが問題なのだと思います。
休みたいと思っている人も、単に楽がしたい、グウタラしたいという訳ではなく、多くの場合は少し体調が優れない時、ちょっとだけ家庭の事を優先したい時、少しだけ気分転換がしたい時などに、できるだけ周りに迷惑をかけずに少しだけ休みたいということではないかと思います。みんながみんな、「有給休暇は全部消化させろ」といっているわけではないはずです。

経営者や管理者など企業で中心的な役割にいる人たちの場合、その責任感とともに上昇志向が強いという人も多く、それゆえに概して仕事中心で、「休むことは悪」という感覚が根底にあるように思います。確かに中小企業では、こういう気持ちで団結していかなければ潰れてしまうという部分もあるでしょう。
しかしこのような意識を強制することが、過労死につながるような過重労働や社員のメンタルダウンを生み出しているという面が間違いなくあると思います。

やはり人によって意識も感じ方も違いますから、“社員個々のパフォーマンスを最大限に発揮させる”という観点で考えれば、“休ませることで動機付けする”ということも考える必要があるのではないかと思います。


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