2012年6月30日土曜日

「正しく受け止められない」から伝えなくて良い?

個人や組織を問わず、隠蔽していた不正や不適切な事柄が発覚し、問題になっていることが多々あります。政治家しかり、官僚しかり、企業しかり。
人間の心理として、自分にとって不都合なことはできれば隠しておきたいと考えるのは、ある意味自然なことなのかもしれませんが、結局そのツケは自分たちに回ってくると言うことです。

人の“やる気”ということで言えば、自分に関係する情報を知らされていなかったということは、多くの場合でマイナスに働き、その内容が本人にとってネガティブなものであるほど、マイナスの度合いは大きくなります。隠されること、知らされないことによる“やる気”の喪失です。

私は、企業の中で「社員」という身内の人間に対する情報提供、共有について、個人情報に類するもの以外の情報は、ほぼすべてを知らせても問題ないと考えていて、自分自身もその様な姿勢で周囲と情報共有を心掛けていましたが、他の方にこのような話をすると、多くの情報を伝えることに慎重な人の方が多いように思います。その方々は異口同音に“正しく受け止められない”と言います。

この“正しく受け止められない”には2つの側面があります。“正しく”の定義は何なのか、そして“受け止められない”ならばどう対処するのか、の点です。

多くの場合の“正しく”は伝える側の意図に対して肯定的に、反発せず、従順に受け止めることを指し、“受け止められない”ならば、あえて伝えない、もしくはオブラートに包んで曖昧にするなどといったことをします。中には、上司部下の情報格差をつけることで、組織統制を図ろうと考えている企業もあるのでしょう。

しかし、このようなことを積み重ねていると、何か事が起こった時、隠されていた事実を知った時、お互いの信頼関係は一気に崩壊し、人は“やる気”を失います。伝えづらい情報があるのはわかりますが、少なくとも相手が“受け止める”ことができるように、積極的に伝える努力、情報提供をしていくことは、組織のムード作り、モチベーション向上のためには、とても重要なことではないかと思います。

「伝えるか伝えないか」を迷うのではなく、「どうやって伝えてわかってもらうか」を考えることの方が、結果的に良い方向につながるのではないでしょうか。

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